山科言繩 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正二位 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊公卿(服製家) | |
職業 | 殿掌 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保六年六月二十日 (1835) | |
親名・続柄 | 山科言成の長男 | |
家族 | 妻 祥子 天保十年十二月生子爵野宮定榖養妹 伯母 操子 文政四年十二月生祖父故言知女 叔父 宗孚 弘化六年七月生祖父故言知男東京府葛飾郡華園村麟祥寺住職 女 永眞 明治元年九月生 同 爲子 明治六年三月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の曾孫左大臣魚名十一代の裔正三位中納言家成の後なり家成の六男正二位權中納言實教四條家より岐れて一家を創立し山科と稱し世々内藏頭として二十三代を經正二位言成に至る 君は其の長男にして天保六年六月二十日を以て京都に生る弘化元年昇殿を聽され祖父の官を繼ぎ内藏頭に安政四年左近衞權少將に慶應二年右近衞權中將に任じ明治九年淑子内親王家祗侯を同十六年殿掌を仰付られ子爵を授けらる同三十年正二位に叙せらる 男言綏(安政四年三月生)は其の妻靖子(文久三年十二月生伯爵冷泉通規妹)と共に男二男丸(文久三年四月生)弟言彬(安政三年三月生)男言長(慶應元年五月生)は各分家し女增子(明治二年十一月生)は京都府平民能川登に嫁せり | |
住所・電話番号 | 京都市上京區河原町通荒神口上ル西入宮垣町八〇 | |
参照人物(親類) | 子爵野宮定榖、男爵杉溪言長、伯爵冷泉通規 | |
参照次数 | 3 | |
読み | やましな ときなお | |
別名 |