磯部四郞 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳六等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 衆議院議員(東京市選出)、辯護士 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永四年七月十五日 (1851) | |
親名・続柄 | 林太仲の四男 | |
家族 | 養母 しげ 文政十一年六月生 妻 せき 安政六年六月生富山縣人上野宇右衞門女 養嗣子 尚 明治八年十一月生福井縣人京都理工科大學助教授日比忠彦弟 長女 つや 明治十二年十二月生養子尚妻 | |
記述部分(略伝) | 君は舊富山藩士林太仲の四男にして嘉永四年七月十五日を以て生る維新の際大勢に見る處あり脱藩して上京し自ら磯部四郞と稱す蓋し其生家は磯部村にあり四男たるの故を以てなり爾來學事に從ひ明治八年佛國巴里に留學を命ぜられて法律學士の稱號を得て歸朝し同十二年判事となり同十三年より司法省權少書記官司法省權大書記官に歷任し十九年大審院檢事に同廿三年同院判事となり尋で富山縣より選出せられて代議士たりしも之を辭し尋で官を辭し辯護士となり辯護士會長となり同卅五年東京市より選出せられて代議士となる其他各法律學校に教鞭を執る二十年一日の如しと云ふ 家族は前記の外孫太郞(明治卅一年八月生)同百合子(同卅三年六月生)同愛(同三十五年一月生)あり | |
住所・電話番号 | 東京市本所區龜澤町二ノ三 電話浪花七六六 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | いそべ しろう | |
別名 |