高倉永則 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳六等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 子爵、舊公卿 | |
職業 | 陸軍步兵大尉、步兵第二十聯隊中隊長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 元治元年四月十一日 (1864) | |
親名・続柄 | 高倉永祐の長男 | |
家族 | 妻 直子 明治八年十二生侯爵廣幡忠禮五女 弟 卯三麿 慶應三年二月生 婦 津奈 明治十二年十二月生東京府士族淺井新一三女弟卯三麿妻 叔母 壽子 天保十一年九月生 男 永輝 明治三十三年九月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の末參議永季の後なり永季高倉と稱すそれより十七代永祐に至る 君は其長男にして元治元年四月十一日を以て生る明治十六年六月殿掌仰付られ同十七年七月子爵を授けられ同二十一年七月陸軍步兵少尉に任じ第二十聯隊小隊長に補せられ同三十年五月陸軍步兵大尉に進み步兵第二十聯隊中隊長に補せらる同二十九年三月勳三等(賜瑞寶章)に同三十二年六月正四位に叙せらる 家族は前記の外女則子(明治三十年四月生)同久子(同三十一年八月生)あり | |
住所・電話番号 | 原籍丹波國福知山町字岡之四三 | |
参照人物(親類) | 侯爵廣幡忠禮、高倉卯三麿、子爵桶口誠康 | |
参照次数 | 4 | |
読み | たかくら ながのり | |
別名 |