第一條 明治三年九月十日太政官布吿藩制施行以後家祿賞典祿ヲ有シタル者及其ノ家名承繼人ニシテ明治九年八月太政官第百八號布吿及同年十二月太政官第百五十二號布吿施行ノ際其ノ祿高ニ對スル全部ノ給與ヲ受ケサル者若ハ相當額ノ給與ニ不足アル者明治四年七月二十四日祿高ニ關スル太政官布吿ニ依リ調査シタル以後ノ祿高及其ノ調査以前ニ係ル藩制施行以後ノ祿高ニ錯誤アルトキハ本法施行ノ日ニ於テ其ノ本人又ハ其ノ家名承繼人ニ限リ其ノ給與未濟額ヲ明治九年八月太政官第百八號布吿第一條及同年十二月太政官第百五十二號布吿ノ率ニ據リ換算シ其ノ元金額ヲ祿高整理ノ爲發行スル公債證書ヲ以テ給與ス
但シ常事犯ノ爲沒祿若ハ減祿セラレタル者ハ此ノ限ニ在ラス
第二條 明治六年十二月太政官第四百二十五號布吿ニ據リ處分ヲ受ケタル者ニシテ其ノ祿高ニ對スル相當額ノ給與ニ不足アル者ハ其ノ本人及本法施行ノ日ニ於テ現ニ其ノ家名承繼人タル者ニ限リ其ノ給與未濟額ヲ明治六年十二月太政官第四百二十六號布吿第一條ノ率ニ據リ換算シ其ノ元金額ヲ祿高整理ノ爲發行スル公債證書ヲ以テ給與ス
第三條 第一條及第二條ノ祿高ヲ金額ニ換算スルハ明治八年九月太政官第百三十八號布吿ニ據リ取調ヘタル旣定ノ石代相場ニ據ル
第四條 第一條及第二條ノ給與ヲ受ケムトスル者ハ其ノ理由及證據ヲ具シ地方廳ヲ經由シテ大藏大臣ニ願出ツヘシ
但シ本法施行ノ日ヨリ一箇年以內ニ願出サルトキハ本法ノ給與ヲ受クルコトヲ得ス