明治二十八年第一五〇二號
明治二十九年一月二十七日宣告
◎判决要旨
公判手續ニ瑕瑾アルモ其始末書ハ無効ニアラス
右岩澤庄助カ故殺被告事件ニ付明治二十八年十二月五日東京控訴院ニ於テ千葉地方裁判所ノ判决ニ對スル檢事ノ控訴ヲ審判シ原判决ヲ取消シ更ニ被告庄助ヲ無期徒刑ニ處スト言渡シタル第二審ノ判决ニ服セス被告人ヨリ上告ヲ爲シタルニ因リ刑事訴訟法第二百八十三條ノ式ヲ履行シ被告辯護人江木衷磯部四郎板倉中ノ辯論及ヒ立會檢事應當融ノ意見ヲ聽キ判决ヲ爲スコト左ノ如シ
上告趣意ハ原院ノ與ヘタル判决ハ擬律ニ錯誤アル不法ノ判决ナルヲ以テ破毀ヲ請フト云フニ在ルモ◎如何ナル點ヲ指シテ錯誤ト爲スヤ其理由ヲ陳述セサルニ因リ之ヲ監査スルニ由ナシ到底上告ノ理由ナキモノトス
辯護士カ上告擴張書ノ要旨第一原判文ニ「助治ハ之ヲ聞キ入ルヘクモ見ヘス五月蠅被告ニ搦ミ付キ強請シテ己マサルヨリ云々」ト是レ一ノ暴行ナリ被告ハ實ニ其身體ニ暴行ヲ受ケタルヨリ豫審决定ノ示ス如ク赫トシテ怒ヲ發シタルコト疑ヒナク又原判决ノ認メタル如ク被告カ其情歸タル助治ヲ殺害スルニ至ルニハ必ス當サニ然ラサルヲ得サリシナリ是レ原判文ニ依リ普通ニ見得ラルヘキ事實ナリトス然ラハ則チ原院ハ刑法第三百五條ヲ適用シ被告ノ罪宥恕スヘキナルニ此法條ヲ適用セサルハ不法ナリト云フニ在ルモ◎五月蠅搦ミ付キ云々トアル事實ヲ以テ暴行ノ所爲ト認ムルコトヲ得サルモノナレハ刑法第三百九條ヲ適用セサリシハ相當ニシテ違法ノ點ナシ』第二原判决ハ被告ノ殺意ヲ叙スルニ單ニ「寧ロ助治ヲ殺害シ煩累ヲ避クルニ如カスト决意シ云々」ト謂ヒ其謀殺ナルヤ故殺ナルヤノ事實ヲ明カニセス直ニ故殺ナリト認メタルハ事實理由ノ不備ヲ免カレス」第三原判文ニ「寧ロ助治ヲ殺シ煩累ヲ避クルニ如カスト决意シ云々」トアリテ被告カ犯罪ノ目的ヲ定メタル事實ヲ認ムルモ被告カ殺意及决心アリタル事實ヲ認メスシテ故殺ノ罪ニ問ヒタルハ犯罪ノ目的ト故意トヲ混同セル不法アリト云フニ在ルモ◎原判文ニ「寧ロ助治ヲ殺害シ煩累ヲ避クルニ如カスト决意シ直ニ助治ヲ其塲ニ打倒シ両手ヲ以テ同人ノ咽喉ヲ扼シ即時窒息死ニ至ラシメタルモノナリ」トアリテ其故殺ノ事實及ヒ其殺意アリ且决心アリタル事實判文上明瞭ニシテ毫モ不備不明ノ點アルコトナシ』第四原判决ハ有罪ノ證憑トシテ醫師片山國嘉ノ鑑定書ヲ明示セラレタルモ鑑定書ハ刑事訴訟法ノ定式ヲ具備セサレハ有効ナラサルモノナリ原院公判始末書ニ徴スルニ片山國嘉カ公廷ニ出頭シタルハ明治廿八年十二月三日ナリ而シテ「裁判長曰ク本件ニ付テハ現ニ終結シタルモ合議ノ上死躰檢案書ノ鑑定ヲ必要ト認メタルヲ以テ職權ヲ以テ云々」トアリ又「故殺被告事件ニ付鑑定ヲ命スルニ付云々」トノ問アレハ同日ニ於テ鑑定ノ事項ノ開始シタルモノト云ハサルヘカラス然ルニ本件檢案書ニ付鑑定書ハ出來居ルヤトノ問アリ而シテ片山國嘉ヨリ該鑑定書ヲ提出シタルモノナレハ此鑑定書ハ其宣誓前ニ成立チタルモノナルヤ明カナリ加之本件審理ハ既ニ終結シタルニ尚ホ右鑑定ヲ必要トシテ之ヲ求メタル事實ナル以上ハ其以前ニ於テ豫メ命シ置カルヘキ次第ナリ又如何ナル命令及ヒ材料ヲ鑑定人ニ送付シテ鑑定ヲ爲サシメタル事蹟ノ徴スヘキモノナシ然ルニ呼出以前ニ作成シタル書類ニ呼出ノ日ニ於ケル宣誓書ヲ添ヘ鑑定書トシテ採用セラレタルハ宣誓未タ行ハレサル前ノ鑑定ヲ有効トセラレタル違法ト命令及ヒ材料ノ漠然徴スルニ由ナキ調査ノ書類ヲ鑑定書トシテ採用セラレタル違法アリト云フニ在ルモ◎片山國嘉ノ鑑定書ヲ閲スルニ「明治二十八年十二月三日東京控訴院刑事第二部法廷ニ於テ岩澤庄助故殺被告事件ニ付證人鳥井直哉ノ作リタル死躰檢案書及ヒ其調書ヲ査閲シ右琴司ノ死因ハ頭部損傷ニアルカ將タ頸部扼壓ニ因ル窒息ニアルカヲ鑑定スヘキ旨ヲ命セラレタリ依テ右書類ヲ査閲スルニ云々」トアリテ十二月三日法廷ニ於テ鑑定ヲ命セラレ即時鑑定ノ材料タル書類ヲ調査シテ鑑定書ヲ作リタル事實明瞭ナリ而シテ公判始末書ニ鑑定ヲ命スルニ付宣誓ヲ爲サシメタル事蹟ヲ記載シアルニ依レハ其宣誓ヲ爲シタル後鑑定書ヲ作成シ之ヲ捧呈シタル事實モ亦明瞭ニシテ該鑑定書ハ宣誓前ニ作成シタルモノニ非ス又命令及ヒ材料ナキモノニ非ス即チ正當ノ鑑定書ナレハ之ヲ斷罪ノ證憑ニ採用シタルハ相當ナリ』第五原判ノ證憑ト爲シタル片山國嘉ノ鑑定書ハ之ニ對シ被告ノ意見ヲ問ヒタル事蹟アルモ之ニ對シテ利益ト爲ルヘキ證憑ヲ差出スヲ得ヘキコトヲ告知シタル事蹟ノ徴スヘキナキ即チ違法ヲ免カレスト云フニ在ルモ◎本件ハ前後二回公判廷ヲ開キ前回開廷ノ際既ニ各證憑ニ付被告ノ意見ヲ問ヒ且利益ト爲ルヘキ證憑ヲ差出スヲ得ヘキ旨ヲ告知シアルニ因リ鑑定書ニ對シ被告ノ意見ヲ問ヒタル上ハ更ニ利益ノ證憑ヲ差出スヲ得ルコトヲ告知セサルモ違法ト爲スヲ得ス』第六原院ハ第一審公判始末書ヲ證憑ニ採用セラレシモ該始末書ハ被告ニ證據書類ヲ讀聞ケタル部分ニ於テ被告ノ意見ヲ問ヒタル事蹟ナク刑事訴訟法第百九十八條ノ規定ニ違反セルモノナルニ原院カ此無効ノ始末書ヲ採用セラレシハ違法ナリト云フニ在ルモ◎第一審公判始末書ヲ檢閲スルニ「問右證據書類ニ付意見ナキヤ答意見ナシ」ト明記シアリテ被告ノ意見ヲ問ハサルノ違法アルコトナシ且假令公判手續上瑕瑾アリトスルモ之ヲ以テ其始末書全部ヲ無効ト爲スコトヲ得サルモノトス』第七檢事ノ控訴ハ被告ノ所爲ヲ以テ毆打致死ノ罪ニ該當スルモノトスルニ在リ然ルニ原院ハ之ヲ故殺ト判定シナカラ檢事ノ控訴ハ其理由アリトセシハ違法ナリト云フニ在ルモ◎千葉地方裁判所檢事ノ控訴申立書ヲ閲スルニ右ニ對スル故殺被告事件千葉地方裁判所ニ於テ無罪ヲ言渡シタル裁判ハ事實ノ認定其當ヲ得サル者ト思料云々」トアリテ故殺ノ罪ニ該當スルモノトシ控訴シタルヤ明瞭ナリ依テ上告論旨ハ總テ相立タサルモノトス
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ從ヒ本件上告ハ之ヲ棄却ス
明治二十九年一月二十七日大審院第二刑事部公廷ニ於テ檢事應當融立會宣告ス
明治二十八年第一五〇二号
明治二十九年一月二十七日宣告
◎判決要旨
公判手続に瑕瑾あるも其始末書は無効にあらず。
右岩沢庄助が故殺被告事件に付、明治二十八年十二月五日東京控訴院に於て千葉地方裁判所の判決に対する検事の控訴を審判し原判決を取消し更に被告庄助を無期徒刑に処すと言渡したる第二審の判決に服せず被告人より上告を為したるに因り刑事訴訟法第二百八十三条の式を履行し被告弁護人江木衷磯辺四郎板倉中の弁論及び立会検事応当融の意見を聴き判決を為すこと左の如し
上告趣意は原院の与へたる判決は擬律に錯誤ある不法の判決なるを以て破毀を請ふと云ふに在るも◎如何なる点を指して錯誤と為すや其理由を陳述せざるに因り之を監査するに由なし。
到底上告の理由なきものとす。
弁護士が上告拡張書の要旨第一原判文に「助治は之を聞き入るべくも見へず五月蠅被告に搦み付き強請して己まざるより云云」と是れ一の暴行なり。
被告は実に其身体に暴行を受けたるより予審決定の示す如く赫として怒を発したること疑ひなく又原判決の認めたる如く被告が其情帰たる助治を殺害するに至るには必す当さに然らざるを得ざりしなり。
是れ原判文に依り普通に見得らるべき事実なりとす。
然らば則ち原院は刑法第三百五条を適用し被告の罪宥恕すべきなるに此法条を適用せざるは不法なりと云ふに在るも◎五月蠅搦み付き云云とある事実を以て暴行の所為と認むることを得ざるものなれば刑法第三百九条を適用せざりしは相当にして違法の点なし。』第二原判決は被告の殺意を叙するに単に「寧ろ助治を殺害し煩累を避くるに如かずと決意し云云」と謂ひ其謀殺なるや故殺なるやの事実を明かにせず直に故殺なりと認めたるは事実理由の不備を免がれず」第三原判文に「寧ろ助治を殺し煩累を避くるに如かずと決意し云云」とありて被告が犯罪の目的を定めたる事実を認むるも被告が殺意及決心ありたる事実を認めずして故殺の罪に問ひたるは犯罪の目的と故意とを混同せる不法ありと云ふに在るも◎原判文に「寧ろ助治を殺害し煩累を避くるに如かずと決意し直に助治を其場に打倒し両手を以て同人の咽喉を扼し即時窒息死に至らしめたるものなり。」とありて其故殺の事実及び其殺意あり、且、決心ありたる事実判文上明瞭にして毫も不備不明の点あることなし』第四原判決は有罪の証憑として医師片山国嘉の鑑定書を明示せられたるも鑑定書は刑事訴訟法の定式を具備せざれば有効ならざるものなり。
原院公判始末書に徴するに片山国嘉が公廷に出頭したるは明治廿八年十二月三日なり。
而して「裁判長曰く本件に付ては現に終結したるも合議の上死躰検案書の鑑定を必要と認めたるを以て職権を以て云云」とあり又「故殺被告事件に付、鑑定を命ずるに付、云云」との問あれば同日に於て鑑定の事項の開始したるものと云はざるべからず。
然るに本件検案書に付、鑑定書は出来居るやとの問あり。
而して片山国嘉より該鑑定書を提出したるものなれば此鑑定書は其宣誓前に成立ちたるものなるや明かなり。
加之本件審理は既に終結したるに尚ほ右鑑定を必要として之を求めたる事実なる以上は其以前に於て予め命じ置かるべき次第なり。
又如何なる命令及び材料を鑑定人に送付して鑑定を為さしめたる事蹟の徴すべきものなし然るに呼出以前に作成したる書類に呼出の日に於ける宣誓書を添へ鑑定書として採用せられたるは宣誓未だ行はれざる前の鑑定を有効とせられたる違法と命令及び材料の漠然徴するに由なき調査の書類を鑑定書として採用せられたる違法ありと云ふに在るも◎片山国嘉の鑑定書を閲するに「明治二十八年十二月三日東京控訴院刑事第二部法廷に於て岩沢庄助故殺被告事件に付、証人鳥井直哉の作りたる死躰検案書及び其調書を査閲し右琴司の死因は頭部損傷にあるか将た頸部扼圧に因る窒息にあるかを鑑定すべき旨を命ぜられたり。
依て右書類を査閲するに云云」とありて十二月三日法廷に於て鑑定を命ぜられ即時鑑定の材料たる書類を調査して鑑定書を作りたる事実明瞭なり。
而して公判始末書に鑑定を命ずるに付、宣誓を為さしめたる事蹟を記載しあるに依れば其宣誓を為したる後鑑定書を作成し之を捧呈したる事実も亦明瞭にして該鑑定書は宣誓前に作成したるものに非ず又命令及び材料なきものに非ず。
即ち正当の鑑定書なれば之を断罪の証憑に採用したるは相当なり。』第五原判の証憑と為したる片山国嘉の鑑定書は之に対し被告の意見を問ひたる事蹟あるも之に対して利益と為るべき証憑を差出すを得べきことを告知したる事蹟の徴すべきなき。
即ち違法を免がれずと云ふに在るも◎本件は前後二回公判廷を開き前回開廷の際既に各証憑に付、被告の意見を問ひ、且、利益と為るべき証憑を差出すを得べき旨を告知しあるに因り鑑定書に対し被告の意見を問ひたる上は更に利益の証憑を差出すを得ることを告知せざるも違法と為すを得ず。』第六原院は第一審公判始末書を証憑に採用せられしも該始末書は被告に証拠書類を読聞けたる部分に於て被告の意見を問ひたる事蹟なく刑事訴訟法第百九十八条の規定に違反せるものなるに原院が此無効の始末書を採用せられしは違法なりと云ふに在るも◎第一審公判始末書を検閲するに「問右証拠書類に付、意見なきや答意見なし。」と明記しありて被告の意見を問はざるの違法あることなし、且、仮令公判手続上瑕瑾ありとするも之を以て其始末書全部を無効と為すことを得ざるものとす。』第七検事の控訴は被告の所為を以て殴打致死の罪に該当するものとするに在り。
然るに原院は之を故殺と判定しながら検事の控訴は其理由ありとせしは違法なりと云ふに在るも◎千葉地方裁判所検事の控訴申立書を閲するに右に対する故殺被告事件千葉地方裁判所に於て無罪を言渡したる裁判は事実の認定其当を得ざる者と思料云云」とありて故殺の罪に該当するものとし控訴したるや明瞭なり。
依て上告論旨は総で相立たざるものとす。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に従ひ本件上告は之を棄却す
明治二十九年一月二十七日大審院第二刑事部公廷に於て検事応当融立会宣告す