プロジェクトの課題
社会は「何者」に動かされているのか?
― データサイエンス時代の歴史情報基盤の構築 ―
2018年8月8日
プロジェクト代表 増田知子
2018年現在、超高齢化少子化社会の進行とともに、貧富の差が拡大している。貧困の連鎖、中間層からの転落、社会保障費による国家財政の圧迫など、負の側面に限ってリアルな情報に接する機会は多い。しかし、ゼロ・サム社会における、人口比1%にも満たない超富裕層の姿は全く可視化されていないのはなぜであろうか。
話は73年前に遡るが、太平洋戦争の期間中(1941年12月~1945年8月)に失われた国富(人的、軍事的被害を除いた平和的資産)は、1935(昭和10)年の時点の日本の国富の34%に相当していた。これは1923(大正12)年の関東大震災の被害の5倍強であった。(注1)
歴史を振り返り、戦争で国富が灰燼に帰したのであれば、その前に止めておけばよかったのにと誰もが思う。だが、例えばその1935年は、「1935、6年の危機(海軍軍縮会議、国際連盟脱退の発効、ソ連の第2次5ヶ年計画の完成、等)」と岡田啓介挙国一致内閣打倒を叫ぶ、日本精神主義の右翼・在郷軍人に加えて、国家改造運動の青年将校らが、美濃部達吉の天皇機関説排撃運動を起こしていた。また、そうした運動を利用して陸海軍は莫大な国防予算の獲得を目指していた。そして、翌年2月、青年将校らの国家改造クーデター(2.26事件)が発生し、挙国一致内閣は倒れ、日本は国家総力戦への道を突き進むこととなる。1935年はまさしくターニングポイントであった。だが、そのターニングポイントでUターンできなかった原因は、日本社会の潮流にあった。
当時、陸軍は政治宣伝を公然と展開し始め、総力戦体制への国家改造が必然であるかの如きパンフレットを次々と出版し、社会に送り出していた。(注2) それらは、深刻な国際危機の切迫を説き、総力戦体制移行への覚悟を求める精神主義が基調となっていた。だが同時にそれらは、総力戦時代の戦争準備がこれまでにない財政支出と莫大な需要を生み出すことを予告するものでもあった。情報と権力に群がってビジネスを展開し、利得を最大化しようとする競争が社会の潮流となった。軍需を見越した輸入が急増したため、政府は貿易、企業の資金調達、軍需工業への直接統制を本格化した。1938(昭和13)年3月の国家総動員法の成立より前のことである。(注3)
敗戦により、軍需で大儲けした者だけが自滅したのであれば、自業自得だったと言えるのかも知れない。しかし、問題は国内外の無数の人々が戦争の惨禍の中で犠牲を強いられ、人生をねじ曲げられたことにある。
実際には、誰が戦前の社会を動かしていたのであろうか。近代法治国家においては、法制度上の地位と権限を有した天皇、内閣総理大臣、枢密院議長、陸軍大臣、海軍大臣、参謀総長、軍令部長、等々ということになる。だが、ここで問いたいのは、利得の最大化を追求する行為は国富の増大につながるのだとして、社会を動かし、欲望の潮流を作り出していた「何者」かについてである。
周知の如く、「軍閥」という言葉は、国家総力戦の準備・遂行を目的として、国家の権力・組織・財を支配した軍部を端的に表現している。「軍閥」の中身は、総力戦のため物と人の動員を実現した政官財軍をつなぐ人的、組織的ネットワークであり、社会全体に広がっていた。だが、その広がり故に、全体を可視化して指し示すことは容易なことではない。
ところで、日本国憲法の前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」と歴史の教訓が記されている。だが、国家制度上の機関、官職にあった者だけに目を向けていてよいのだろうか。他方で、広島の原爆死没者慰霊碑には、「過ちは繰り返しませぬから」とある。主語がないため判然としないが、国民が戦争を止められなかったことを悔いているようにも、また、原爆を二度と使わせない誓いのようにも読める。だが、憲法前文と慰霊碑のどちらにおいても、総力戦の準備・遂行を手段として、自己の利得最大化を目指した社会の「何者」かについては、視野の外に置かれているように思える。
国家の政府でも国民でもなく、社会を動かしていた「何者」かについては、過去においても現在においても十分可視化されていないのではないか。その「何者」を可視化することが、今の私たちに遺された歴史的課題だと考える。
「日本研究のための歴史情報」プロジェクトは、『人事興信録』(人事興信所刊)、占領期間中(1945~1952年)に連合国最高司令部(SCAP)から日本政府に発せられた「対日指令集」(国立国会図書館憲政資料室所蔵マイクロフィルム)、『法律新聞』(法律新聞社刊)を、そのための重要な研究資源・データであると考えている。
『人事興信録』データベースは、膨大な旧字体のテキスト化に挑戦し、4年越しでようやく8月3日、大正4年版の一般公開を行った。SCAPINデータベースは、2年がかりで作成し、2018年4月のプロジェクト立ち上げと共に公開したものである。占領期研究に取り組んだ先人たちの作成した資料集や当時の文献・文書類を参照し、マイクロフィルムに納められている2635件の指令の本文について、かすれて読めないタイプ文字をすべて手作業で起こしたものである。
『法律新聞』データベースは、明治大学の「社会・人間・情報プラットフォーム(SHIP)」プロジェクトから研究成果物のテキスト・データを提供していただき作成した。
微力ではあるが、私たちに遺された歴史的課題の解明のため、データサイエンス時代だからこそ利用が容易になった技術を用いて、歴史情報基盤の構築を進めていきたいと考えている。
(注1)中村隆英・宮崎隆次編『史料・太平洋戦争被害調査報告』東京大学出版会、1995年、13、270頁。ちなみに、軍事的国富(船艇、航空機、その他の戦闘用兵器)の被害は、平和的国富の被害以上であったと推定されていた。同15頁。
(注2)陸軍省新聞班「躍進日本と列強の重圧」1934(昭和9)年7月28日発行、同「国防の本義と其強化の提唱」(通称、「陸軍パンフレット」)同年10月10日、同「日露戦後三十年 非常時に対する我等国民の覚悟」1935(昭和10)年3月1日、など。いずれも国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧可能である。
(注3)中村隆英『昭和史』上、東洋経済新報社、2015年、293-301頁。原 朗「Ⅰ戦時統制経済の開始」『日本戦時経済研究』東京大学出版会、2013年。