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桑田熊藏 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級勳四等
爵位・身分・家柄鳥取縣平民
職業法學博士、貴族院議員、鳥取縣多額納税者、倉吉融通株式會社專務取締役
性別男性
生年月日明治元年十一月十七日 (1868)
親名・続柄 桑田藤十郞の長男
家族祖母 とみ 天保四、四生、鳥取、平、門脇孝助三女
母 むめの 嘉永五、一一生、鳥取、平、三好吉三郞長女
妻 たつ 明一四、二生、東京、士、小島東十郞長女、東京女子高等師範學校出身
男 一夫 明二三、一生、早稻田大學政治經濟科出身
養子 直治 明一二、一生、長女民野夫、鳥取、平、河本久次郞三男
女 民野 明一七、一一生、養子直治妻
女 千枝子 明二八、六生、三輪田高等女學校出身
弟 豐吉 明一〇、一一生、從六位勳五等、工學士、遞信局技師
弟妻 眞 明二一、八生、弟豐吉妻、東京、平、工學士船曳甲長女
弟 芳藏 明一五、七生、文學士、東京帝國大學文科大學講師
弟妻 てる 明一八、五生、弟芳藏妻、千葉、平、文學士、
弟 正一 明二五、一生、東京帝國大學工科大學建築學科在學
弟 六郞 明二七、二生、第一高等學校在學
妹 千賀子 明二九、七生、三輪田高等女學校出身
記述部分(略伝)君は鳥取縣平民先代桑田藤十郞の長男にして明治元年十一月十七日を以て生れ同三十五年六月家督を相續す同二十六年帝國大學法科大學を卒業して法學士の稱號を得同二十九年社會問題研究の爲め英獨佛の三ケ國に留學し同三十一年歸朝す同三十三年農商務省か工場法制定の目的を以て工場調査の機關を設くるや工場職工の調査を囑託せられ同三十七年生絲工業と社會問題なる論文を提出して法學博士の學位を授けらる曾て東京帝國大學法科大學海軍經理學校東京高等工業學校及中央大學等の講師となり後ち東洋拓殖株式會社設立委員に推さる方今鳥取縣下の多額納税者として直接國税四千六百餘圓を納む曩に互選せられて貴族院議員となり現に其任に在り又倉吉融通株式會社專務取締役たり日露事件の功に依り勳四等に叙し旭日小綬章を賜はり同年税法調査會委員を囑託せられ尋て金杯を下賜せらる
家族は前記の外二男英次(明三九、三生)五女住江(同四〇、二生)六女二葉(同四一、二生)七女幾代(同四四、一生)三男三樹男(大元、一〇生)孫三保子(明四一、一生、養子直治長女)同壽々子(同四四、一生、同二女)同信乃夫(大二、四生、同三女)甥俊夫(明四一、一二生、弟豐吉長男)同規矩男(同四四、五生、同二男)姪淑子(同四三、三生、同長女)甥洋一(大二、一〇生、弟芳藏長男)あり
妹はるの(明一八、一生)は文學士木内喜右衛門に同千代(同二〇、六生)は法學博士山崎覺次郞に嫁せり
住所・電話番号鳥取、東伯、倉吉町
東京、本鄕、駒込林町一九 電話下谷三四四三
参照人物(親類)山崎覺次郞
参照次数1 (※なし1)
読みくわた くまぞう
別名
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