村井吉兵衛 (男性)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄東京府平民
職業合名會社村井銀行業務執行社員社長、帝國製糸株式會社長、株式會社村井貯蓄銀行、株式會社帝國ホテル各取締役、東亞製粉株式會社、寳田石油株式會社、臺灣製糖株式會社、帝國劇場株式會社各監査役、明治貿易合資會社出資社員
生年月日元治元年一月二十二日 (1864)
親名・続柄 村井彌兵衛二男
家族養母 こう 嘉永四、九生、京都、平、村井彌兵衛長女
妻 うの 明三、一〇生、京都、平、中谷平兵衛長女
養子 彌吉 明一七、一二生、二女ヒサ夫、子爵、三島彌太郞弟、法學士
女 ひさ 明二五、三生、養子彌吉妻
記述部分君は京都府平民亡村井彌兵衛の二男にして村井彌市郞の叔父なり元治元年一月二十二日を以て生る明治五年伯父村井吉右衛門の養子となり同十一年四月家督を相續せり年甫めて十四煙草業に從事し刻苫精勵せり同二十三年卷煙草流行の機を察し米人に就き紙卷煙草製造法を研究し之を製造して大に江湖の賞讃を博し村井商會の名聲頓に揚れり爾來益々業務を擴張し同三十二年米國煙草會社と共同して株式會社村井兄弟商會を起し之れか取締役兼社長と爲る後煙草業の官營に移るや專ら力を銀行業に注き村井銀行を創設して之が社長となり其他前揭諸會社の重役に推され現に其の任にあり
家族は前記の外孫正子(大元、一〇生、養子彌吉長女)孫弘忠(同二、一一生、同長女)あり
妹みつ(明七、二生)は分家して和歌山縣平民坂田幸三郞弟貞之助を迎へ同ムメ(同一一、一生)も亦分家して岡山縣平民寺坂源輔四男眞雄を迎へ同きみ(同二〇、一一生)も亦分家し男爵眞木長義四男五郞を迎ふ
住所東京、麴町、永田町一ノ一七
電話番号長新橋二三四
参照人物子爵三島彌太郞村井眞雄村井貞之助村井五郞村井彌市郞、※伯爵日野資謙、※男爵牧野伸顯、※秋月左都夫、※日高榮三郞、※中村進午
参照次数10 (※なし5)
読みむらい きちべえ
別名
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