大岡育造 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 衆議院議員(山口縣郡部選出) | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政三年六月三日 (1856) | |
親名・続柄 | 大岡伊織の長男 | |
家族 | 妻 よし 慶應二、八生、東京、平、山本又兵衛二女 男 賛造 明一五、一一生 男 二郞 明一七、五生 養子 龍男 明二五、四生、東京、平、淺利義金四男 | |
記述部分(略伝) | 君は山口縣士族大岡伊織の長男にして安政三年六月三日を以て生る明治六年長崎醫學校に入りて獨逸學を硏修す後上京し講法學舍に法律學を修め更に司法省法律學校に學ふ明治十三年代言人となり傍ら筆を輿論新誌に執りて時事を論す後屢々東京府會議員に擧けられ同二十三年帝國議會開設に際し山口縣より擧けられて代議士となり爾來常に其職に在り同三十二年歐米を漫遊し歸來政友會總務委員に推され同三十六年東京市參事會員となり次て市會議長となり同四十年九月日露事件の功に依り勳四等に叙せらる大正元年十二月衆議院議長に推され同三年三月文部大臣に親任せらる後ち内閣更迭と共に辭して野に下れり曩に中央新聞を創刋し其社長たりしも之を辭す | |
住所・電話番号 | 東京、京橋、山城町一〇 電話新橋六〇二 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | おおおか いくぞう | |
別名 |