木村壯介 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳一等、功三級 | |
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爵位・身分・家柄 | 鹿兒島縣士族 | |
職業 | 退役海軍軍醫中將 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政二年二月 (1855) | |
親名・続柄 | 木村休太郞の長男 | |
家族 | 妻 レン 慶應二、一〇生、福島、士、恒屋盛庸二女 男 修三 明一九、一生 男 健三 明二七、一生、長崎高等商業學校出身 婦 てつ 明三六、三生、二男健三妻、東京、宇野主一姉 | |
記述部分(略伝) | 君は舊鹿兒島藩士木村休太郞の長男にして安政二年二月を以て生れ明治二十八年家督を相續し前名新太郞を改む同十三年海軍々醫學校を卒業し軍醫副となり尋で海軍少軍醫に任じ同四十四年海軍々醫中將に累進す其間筑波軍醫長海軍省衞生部第二課長海軍々醫學校教官橫須賀海軍病院附軍醫學校教官浪速葛城比叡金剛扶桑各軍醫長佐世保海軍病院長海軍軍醫學校長海軍省醫務局長等に歷補す曩に日露戰役衞生史編纂委員長を兼ね又米國に駐在を命ぜられ軍陣醫學の硏究に從事す 長女秀(明二一、五生)は沖繩縣人法學士山内正瞭に二女俊(同二四、一生、東京女學館出身)は熊本縣士族高宮議弟隆に三女わか(同二五、五生、學習院女學部出身)は東京府人齋藤守圀に妹サク(同四、八生)は鹿兒島縣士族永岩直次郞に同きりは鹿兒島縣人岩切孝之助に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麻布、霞町一 電青山六七九七 | |
参照人物(親類) | 木村修三、齋藤守圀 | |
参照次数 | 3 (※なし2) | |
読み | きむら そうすけ | |
別名 | 新太郞 |