加藤正治 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳二等 | |
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爵位・身分・家柄 | 鳥取縣在籍 | |
職業 | 法學博士、帝國學士院會員、東京帝國大學教授、法學部勤務 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治四年三月 (1871) | |
親名・続柄 | 平林貞治郞の長男 ** | |
家族 | 妻 すみ 明一五、一生、養父正義長女 男 正德 明三七、一生 男 正通 明四一、一一生 女 淑子 明四四、七生、雙葉高等女學校在學 女 泰子 大二、四生、雙葉高等女學校在學 | |
記述部分(略伝) | 當家は先代正義に依つて家名を揚ぐ正義は鳥取縣の人明治十八年農商務權少書記官となる此年政府三菱共同汽船會社を合併し日本郵船會社を創立するに際し委員長森岡昌純を輔け同二十二年同社理事となり同二十六年取締役に選任同二十八年副社長に擧げられ日清事件の功により勳四等に叙し同三十四年湖南汽船會社の創立に盡し取締役會長に選任せらる翌年北清事件の功に依り勳三等に叙し尋で東京商業會議所特別議員に擧げられ日露事件の功に依り勳二等に陞叙し大正四年特旨を以て正五位の位記を賜ふ其間歐米印度を漫遊し同四十年歸朝す東京市會議員扶桑海上火災保險會社長日本郵船會社相談役帝國海事協會日本海員掖濟會各理事等に推載せられ實業界の重鎭たりき 君は長野縣人平林行雄の弟にして明治四年三月を以て生れ先代正義の養子となり大正十二年家督を相續す明治三十年東京帝國大學法科大學を卒業し同三十二年破産法硏究の爲獨佛に留學し同三十六年歸朝東京帝國大學法科大學教授となり同三十七年法學博士の學位を受け現時同大學教授にして帝國學士院會員たり 家族は尚三男正隆(大五、一〇生)四男正泰(同七、一二生)三女明子(同九、四生)五男正明(同一一、一生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、元園町一ノ一 電九段九三〇 | |
参照人物(親類) | 加藤正德 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | かとう しょうじ | |
別名 |