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青木梅三郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級從四位
爵位・身分・家柄子爵、東京府華族
職業
性別男性
生年月日明治六年十月 (1873)
親名・続柄 杉孫七郞の三男 **
家族妻 フミ 明一八、二生、福岡、士、福原八郞養妹
男 重夫 明三七、四生、從五位、學習院高等科出身
女 多嘉子 明四〇、九生、女子學習院出身
記述部分(略伝)當家は代々長州萩藩の典醫にして三代の祖周弼は夙に洋方を修め緖方氏等と共に日本の三弼と稱せらる弟硏藏家を繼ぎ亦洋方を以て明治初年宮中に奉仕し侍醫となる先代周藏は同藩醫三浦玄仲の長男にして入つて當家を嗣ぐ夙に洋學を修め明治六年外務一等書記官に任ぜられ爾來獨墺蘭丁白英米各國駐箚特命全權公使條約改正取調御用掛外務大輔同次官同大臣(二回)貴族院議員駐米特命全權大使樞密顧問官等に歷任し同十七年華族に列し子爵を授けらる君其後を享く
君實は子爵杉七郞の叔父にして明治六年十月を以て生れ選定に因り先代周藏の死跡を相續し大正三年襲爵仰付けらる夙に學習院に學び獨逸に留學す曩に後藤子爵の下に鐵道院總裁祕書官南滿洲鐵道會社祕書役たりしことあり爾來專ら那須野の開墾に從事す
家族は尚三女スミ子(大五、六生)五男周夫(同七、四生)先代周藏妻ヱリザベツト(嘉永元、正生、普露西亞王國貴族カラウス・フオン・ラーデ妹)あり
長女田鶴子(明三九、二生)は海軍中將吉岡範策長男範武に嫁せり
住所・電話番号東京市外澁谷町綠岡二 電青山九七
参照人物(親類)子爵杉七郞福原八郞吉岡範策、※植木平之允、※河村金五郞、※古賀政一、※本木誠三
参照次数7 (※なし3)
読みあおき うめさぶろう
別名
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