與謝野寬 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 京都府在籍 | |
職業 | 慶應義塾大學教授、慶應義塾々員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治六年二月 (1873) | |
親名・続柄 | 與謝野禮嚴の五男 | |
家族 | 妻 晶子 明一一、一二生、工學博士鳳秀太郞妹、文化學院學監兼教授、歌人、文學者、評論家 男 光 明三六、一生、慶應義塾大學病理教室助手同大學醫學部出身 男 秀 明三七、七生、外交官試驗合格、東京帝國大學法學部在學 女 八峰 明四〇、三生、文化學院本科在學 女 宇智子 明四四、二生、立教女學校在學 | |
記述部分(略伝) | 君は京都府下修學院村の學僧贈從五位與謝野禮嚴の五男にして明治六年二月を以て生れ同三十一年家督を相續す夙に京都及び大阪に出で國文及漢文英語を學び更に上京して故落合直文森鷗外二家の門に在りて内外の文學を硏究す後新詩社を起し機關誌明星及スバルを發刊す曾て鐵幹と號して詩歌集の著あり晶子夫人と共に明治歌壇の改革者として知らるまた佛文學を修め明治四十四年夫妻相携へて歐洲に遊び大正二年歸朝す現時慶應義塾大學文學部教授にして文化學院學監たり多年「日本語原考」の著述に從事す 家族は尚四男麟(明四二、三生)五男アウギユスト(大二、四生)五女エレンヌ(同四、三生)六男健(同五、三生)六女藤子(同八、三生)及び和田大圓(眞言宗勸修寺派管長)あり 二女七瀨(明四〇、三生、雙葉高女出身)は東府府人山本直良長男直正に嫁し三男讓(同三七、七生、法學士、歐洲留學)は分家弟修に三女佐保子(同四三、三生)は神奈川縣人池田忠作に各養子となり弟修(同九、二生)は分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、神田、駿河臺袋町一二文化學院内 | |
参照人物(親類) | 鳳秀太郞、山本直良、※伊藤武男 | |
参照次数 | 3 (※なし2) | |
読み | よさの ひろし | |
別名 |