山崎直三 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位、勳五等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 著述業 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十五年八月 (1882) | |
親名・続柄 | 山崎直胤の長男 | |
家族 | ||
記述部分(略伝) | 君は故錦鷄間祗候山崎直胤の長男にして明治十五年八月を以て生る先代直胤は舊幕臣にして砲術家山崎直高の長男なり夙に歐米に差遣され法制經濟の學を修め後内務省最初の縣治局長山梨三重各縣知事宮内省調度局長等に歷任し錦鷄間祗候仰付らる君其後を承け大正七年家督を相續す明治三十八年東京帝國大學文科大學を卒業し早稻田大學留學生として佛國に渡り巴里大學を卒業し次で論文を提出しドクトル・エス・レツトル(佛國文學博士)の學位を得次で歐洲各國を視察し歸朝後早稻田大學教授として社會學及文明史の講座を擔任し大正三年大隈内閣成立するや擧げられて内閣總理大臣祕書官に任ぜらる後東京銀行集會所書記長たりしが病氣の爲之を辭して現時靜に著述に從事せり 弟貞貞(明二六、七生、海軍大尉)同妻ケイ(同三三、五生、新潟、橋本左武郞二女、お茶の水高等女學校出身)は其一男一女を伴ひ分家し姉もと(同八、一二生、出身校同上)は兵庫縣人法學士森田茂吉に同ふみ(同一一、三生、出身校同上)は海軍中將千坂智次郞に妹八重(同二四、九生、出身校同上)は子爵吉田清風に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市外中野町一〇二四 電四谷一二九二 | |
参照人物(親類) | 子爵吉田清風、千坂智次郞、森田茂吉 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | やまざき なおぞう | |
別名 |