箕浦多一 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 大分縣士族 | |
職業 | 報知新聞社(株)取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二十四年七月 (1891) | |
親名・続柄 | 箕浦又生の四男 | |
家族 | 父 勝人 安政元、二生、大分、士、實相寺愚山二男、正四位勳一等、前憲政會顧問、現戸主 妻 園子 明三一、六生、大分、中尾義三郞六女 男 太郞 大一一、四生 | |
記述部分(略伝) | 箕浦家は代々稻葉家に臣事せる舊家なり先代又生藩主の信任厚く近習役御側用人を勤め明治維新後藩主に從ひ出京して家令となり稻葉家に盡瘁す當主勝人は同藩實相寺家より入りて其後ちを襲ふ夙に慶應義塾を卒業し報知新聞社に入り盛に國會開設の議を唱導す中途育英の事に從ひ仙臺神戸岡山等の中學校長に任ぜり後ち是を辭し政界に投じ改進黨を組織し初期以來大正十五年政界隱退に至る迄每囘當選せず憲政會の長老として知られたり曩に副議長となり又憲政會内閣成るや入りて遞信次官となり大正四年大隈内閣に列して遞信大臣に親任せらる 君は其四男にして明治二十四年七月を以て生る第一高等學校を經て大正六年東京帝國大學法科大學政治科を卒業し爾來報知新聞社に入り經營の任に當り現時取締役たりスポーツに趣味を有す 家族は尚二男新治(大一二、一〇生)三男波雄(同一五、一生)ある外兄三郞(明二一、一生)及び其の三子あり 妹シツ(同二八、四生)は東京府人野々村金五郞養子亨に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市外西巢鴨町池袋一〇六 電大塚一八二五 | |
参照人物(親類) | 中尾義三郞、野々村亨、※宇佐美力、※中尾十三郞 | |
参照次数 | 4 (※なし2) | |
読み | みのうら たいち | |
別名 |