福岡秀猪 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、東京府華族 | |
職業 | 憲兵練習所講師 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治四年九月 (1871) | |
親名・続柄 | 福岡孝弟の二男 | |
家族 | 妻 貞子 明一〇、四生、子爵相良賴綱養妹 男 孝紹 明三五、七生、從五位 女 文子 明四四、七生 | |
記述部分(略伝) | 當家は曩祖千孝高知藩祖山内一豐に仕へてより世々同藩士として先代孝弟に至る孝弟夙に王政復古の議を唱へ慶應三年藩の參政に任じ後藤象次郞等と將軍慶喜に謁し大政奉還を勸め尋で參與に任ぜられ由利公正と御誓文五ケ條を起草す後文部大輔司法大輔元老院議官參議兼文部卿參事院議長等に歷任し明治十七年華族に列して子爵を授けられ後宮中顧問官樞密顧問官議定官に歷任す 君は其二男にして明治四年九月を以て生れ大正八年襲爵仰付けらる明治二十年米國に留學しカンバアランド大學及エール大學を卒業し同二十六年再び歐洲に留學しブリユツセル大學を卒業して歸朝す英佛語に精通し國際法行政法經濟學を專攻す同三十三年東京外國語學校教授に任ぜられ學習院講師を兼ぬ後宮内省御用掛被仰付現時憲兵練習所國際法講師たり 家族は尚二男孝儔(大三、九生)あり 長女斐子(明三一、七生、學習院女學部出身)は故實業家永田巖長男法學士鐵夫に二女能子(同三三、七生、出身校同上)は實業家瓜生泰二男正に三女紅子(同三七、二生、出身校同上)は子爵實吉安純八男金郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、金富町五九 電小石川九一六 | |
参照人物(親類) | 子爵相良賴綱、子爵實吉安純、瓜生泰、※伯爵眞田幸治、※子爵京極高備、※男爵島津久英 | |
参照次数 | 6 (※なし3) | |
読み | ふくおか ひでい | |
別名 |