English

野依秀一 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄大分縣在籍
職業實業之世界社長、大日本眞宗宣傳協會長、佛教思想普及協會長
性別男性
生年月日明治十八年七月 (1885)
親名・続柄 野依幸藏の二男
家族父 幸藏 嘉永四、二生
母 テフ 安政四、二生、大分、城仁六長女
記述部分(略伝)君は大分縣人野依幸藏の二男にして明治十八年七月を以て生る夙に志を立て具さに苦楚を甞め同三十八年慶應義塾商業夜學校在學中雜誌「三田商業界」を創刋し次で日本新聞社に入り又「大日本實業評論」を創刋し「活動之日本」を合併して主幹に擧げらる同四十一年「三田商業界」を「實業之世界」と改題し同社長兼主筆として爾來二十餘年今日に至る東京電燈料金値下問題に筆禍を買ひ大正元年入獄し又保險會社攻擊に累され四年間獄に下り佛教の信仰を得出獄後「眞宗の世界」を創刋し大日本眞宗宣傳協會長として普及に力む大正十四年世界を漫遊し「佛教思想」を創刋し佛教思想普及會長となり次て日刋實業通信社を興し社長兼主筆として之を主宰する外現に「財界ポケツト」主筆にして、「無學の聲」「快氣焰全集」「國家社會と僕の立場」「我等は皇室と國家を如何に見るべきか」「絶對の慈悲に浴して」「勇壯活潑の信仰」「信仰問題の解決」其他の著述あり
家族は尚兄不二男(明一五、九生、現戸主)同妻トモ(同二八、一生、大分、士、小林龍三妹)及其子女あり
弟孫四郞(同二一、二生)同定太郞(同二四、一一生)は各分家せり
住所・電話番号「營業所」東京、芝、愛宕町三ノ二 電芝一五五〇、一五五一
「自宅」芝、西久保廣町二五 電芝一六一六
参照人物(親類)
参照次数
読みのより ひでかず
別名
画像を表示