竹内恒吉 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 京都府在籍 | |
職業 | 帝室技藝員、帝國美術院會員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 元治元年十一月 (1864) | |
親名・続柄 | 竹内政七の長男 | |
家族 | 妻 ナミ 慶應三、三生、京都、高山定七長女 男 逸三 明二四、一生 婦 テイ 明二五、七生、長男逸三妻、佐賀、伊藤喬長女 男 四朗 明三三、四生 男 三雄 明四〇、一〇生 | |
記述部分(略伝) | 君は京都府人竹内政七の長男にして元治元年十一月を以て生れ明治三十年分家して一家を創立す夙に土田英林幸野楳嶺等に師事し繪畫を修得し傍ら吉田感助に就き漢學を修む又京都府畫學校に學びし事あり栖鳳と號し本邦畫壇の巨擘にして現に帝室技藝員仰付けられ帝國美術院會員たり曾て京都市立美術工藝學校同市立繪畫專門學校各教諭に就任す又曩に美術視察の爲佛國及歐洲各國に出張を命ぜられ大正十三年佛國政府より勳章を贈らる 家族は尚孫晴一(大六、一〇生、長男逸三長男)同承(同七、一一生、同二女)あり 長女園(明二六、七生)は京都府人伊藤平三長男爲治郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 京都、上京、御池通油小路西入ル森ノ木一二 電中八五〇 | |
参照人物(親類) | 伊藤平三 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | たけうち つねきち | |
別名 |