井上通泰 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳三等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 兵庫縣在籍 | |
職業 | 醫學博士、宮中顧問官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應二年十二月 (1867) | |
親名・続柄 | 松岡操の三男 | |
家族 | 妻 りよう 明五、二生、東京、佐藤芳三郞二女 男 泰忠 明三二、七生 婦 敏子 明四〇、一〇生、長男泰忠妻、東京、中村義四郞長女 | |
記述部分(略伝) | 君は兵庫縣人松岡操の三男にして前貴族院書記官長柳田國男海軍大佐松岡靜雄画家同輝夫(映丘)の實兄なり慶應二年十二月を以て生れ後先代碩平の養子となり明治三十二年家督を相續す同二十三年帝國大學醫科大學を卒業し同校眼科助手兵庫縣立姫路病院副院長岡山醫學專門學校眼科教授等に歷任し同三十七年醫學博士の學位を授けらる現に宮中顧問官たり和歌を能くし曩に御歌所寄人にして萬葉集新考の名著あり 家族は尚孫泰子(昭二、二生、長男泰忠長女)あり 長女桃枝(明二九、二生)は佐賀縣人河村嘉一郞弟二四郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市外澁谷町青山北町七ノ二 電青山四六八 | |
参照人物(親類) | 河村嘉一郞、中村義四郞、柳田國男、※佐藤衡治、※美濃部俊吉 | |
参照次数 | 5 (※なし3) | |
読み | いのうえ みちやす | |
別名 |