柴田桂太 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 理學博士、東京帝國大學教授、理學部勤務 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十年九月 (1877) | |
親名・続柄 | 柴田承桂の長男 | |
家族 | 妻 恭子 明二三、一生、工學博士生源寺順妹 男 浩一 明四三、八生 女 光子 大二、一生 | |
記述部分(略伝) | 當家は世々尾張藩の典醫なり 君は東京府士族故藥學博土柴田承桂の長男にして同雄次の兄なり明治十年九月を以て生れ同四十三年家督を相續す同三十二年東京帝國大學理科大學を卒業し第一高等學校東北帝國大學農科大學各教授東京帝國大學理科大學助教授等を經て現官に任ぜらる曾て植物學硏究の爲獨逸に私費留學をなし又瓜哇及米國に出張を命ぜらる植物界に於けるフラヴオン體の硏究にて恩賜賞を受け明治三十七年理學博士の學位を受く 家族は尚二男承二(大四、一〇生)二女和子(同七、一二生)あり 妹きく(明一二、一〇生)は熊本高等工業學校長三浦鍋太郞に同もと(同二〇、一二生)は早稻田大學教授理學博士德永重康に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、小日向臺町一ノ一 電小石川五九一 | |
参照人物(親類) | 柴田雄次、生源寺順、三浦鍋太郞 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | しばた けいた | |
別名 |