藤田嗣章 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳一等、功三級 | |
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爵位・身分・家柄 | 千葉縣士族 | |
職業 | 豫備陸軍々醫總監 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政元年正月二十七日 (1854) | |
親名・続柄 | 藤田嗣服の長男 | |
家族 | 妻 シゲ 文久元、正生、熊本、士、小笠原齋姉 男 嗣雄 明一八、三生、法學士、朝鮮總督府參事官 男 嗣治 明一九、一一生、東京美術學校洋畫科卒業、佛國留學中 女 ひろ 明二九、一生、學習院女學部卒業 | |
記述部分(略伝) | 君は舊駿州田中藩士藤田嗣服の長男にして安政元年正月二十七日を以て生れ後家督を相續す明治十年六月陸軍々醫補に任し累進して大正元年六月軍醫總監に任せらる日清役には熊本陸軍豫備病院長より臺灣兵站軍醫長臺灣陸軍々醫部長第五師團軍醫部長に轉し又日露役には留守第五師團軍醫部長より第四軍々醫部長に轉し後ち韓國駐劄軍々醫部長に補し尋て同四十三年十月朝鮮總督府醫院長に任せられ大正三年七月願に依り同官を免せらる君は熊本に臺灣に朝鮮に到る處軍職の傍地方衞生顧問等を兼任せり勳功に依り正四位勳一等に叙し功三級金鵄勳章を賜はる 長女きく(明一一、一一生)は京都府士族芦原甫養子信之に二女やす(同一三、八生)は秋田縣平民中村緣野に妹りう(同元、二生)は岡山縣士族山上正夫に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、豐多摩、大久保町百人町三〇 電話番町二四三五 | |
参照人物(親類) | 山上正夫 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | ふじた つぐあき | |
別名 |