槇哲 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 新潟縣平民 | |
職業 | 鹽水港製糖株式會社常務取締役、臺東拓殖製糖株式會社、臺灣海陸産業株式會社各取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應二年十一月十日 (1866) | |
親名・続柄 | 槇小太郞の二男 | |
家族 | 妻 リウ 明七、一一生、新潟縣人關齊長女 從妹 シヅ 明二六、八生、新潟、平、高橋サダ妹 | |
記述部分(略伝) | 君は舊越後長岡藩士槇小太郞の二男にして槇武の弟なり慶應二年十一月十日を以て生れ明治三十二年七月分れて一家を創立し舊名寅次郞を今の名に改む夙に慶應義塾に學ひ爾來北越鐵道株式會社王子製紙株式會社等に在勤せしか同三十七年辭して米國を巡遊す同四十年鹽水港製糖株式會社の設立せらる〻や推されて其常務取締役となり方今尚前揭諸會社の重役として事業經營の任に在り | |
住所・電話番号 | 臺灣、嘉義廳太子宮堡新營庄 | |
参照人物(親類) | 槇武 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | まき あきら | |
別名 | 寅次郞 |