松平康民 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊作州津山藩主 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久元年八月二十六日 (1861) | |
親名・続柄 | ||
家族 | 妻 八百子 元治元、四生、伯爵松平直亮妹 男 正二郞 明二五、一生、學習院高等科在學 女 隆子 明二六、一一生、お茶水高等女學校出身 女 照子 明二九、七生、お茶水高等女學校出身 女 鶴子 明三二、七生、學習院女學部在學 | |
記述部分(略伝) | 當家は德川家康二男秀康の裔なり秀康の後十三世を經作州津山藩主として先代康倫に至る 君は其弟にして文久元年八月二十六日を以て生れ明治十一年一月兄康倫の嗣子となり家督を相續し同十七年七月子爵を授けらる同二十三年以來貴族院議員に當選すること四回現に其任にあり同二十九年六月日清事件の功に依り勳四等に叙し瑞寶章を賜はり日露事件の功に依り旭日小綬章を授けらる 家族は前記の外女三四子(同三四、一生)男四郞(同三四、一二生)同文友(同三六、二生)あり 長女淑子(同一三、二生)は子爵森清に四女經子(同一九、七生)は子爵伊東祐弘に嫁し男明(同三〇、一二生)は東京府士族渡邊すまの跡を相續し弟齊(同七、五生)は分家して男爵を授けられ其子齊光當主たり | |
住所・電話番号 | 東京、本鄕、龍岡町八 電話下谷五七七 | |
参照人物(親類) | 伯爵松平直亮、子爵伊東祐弘、子爵森清、男爵松平齊光、※子爵松平武修、※子爵松平直平、※三井得右衞門 | |
参照次数 | 7 (※なし4) | |
読み | まつだいら やすたみ | |
別名 |