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前田正名 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從三位、勳四等
爵位・身分・家柄舊鹿兒島藩士
職業貴族院議員
性別男性
生年月日嘉永三年三月十二日 (1850)
親名・続柄 前田善助の六男
家族妻 イチ 文久二、一一生、鹿兒島、士、石原近義二女
男 正一 明一九、一生
男 正次 明二〇、四生
男 三介 明二一、四生
男 四郞 明二三、五生
記述部分(略伝)君は舊鹿兒島藩士亡前田善助の六男にして前田青莎は君の甥なり嘉永三年三月十二日を以て生る明治二年佛國留學を命せられ在留五年後二等書記生に任せられ佛國公使館に在勤し同九年勸業寮御用掛となり尋て勸農局に出仕し三田育種塲長となれり同十一年佛國巴里大博覽會事務官長として派遣せられ歸朝後商務局に勤務し同十三年總領事として佛國に在勤し尋て大藏省御用掛兼務となり大藏大書記官農商務大書記官を歷て理事官となり歐米諸國に差遣せらる同十八年官を辭し一步園を設立し園業を經營せり後徵されて山梨縣知事となり農商務省工務局長に轉し農務局長を兼ね後專任農務局長となり尋て東京農林學校長を兼任し同二十三年農商務次官に任せらる此年元老院議官に轉し貴族院議員に勅選せられ多年殖産興業に盡瘁せし功勞を賞し勅定藍綬褒章を賜はり之を表彰せらる同三十年貴族院議員を辭し同三十七年再ひ貴族院議員に勅選せられ現に其任に在り從三位に陞り勳四等に叙せらる君專ら力を民業の發達に委ね實業團體五二會を設立し其會頭と爲り各地に遊説し奬勵頗る努めたり其他博覽會の審査員評議員に擧られ受賞せしこと數回に及へり
家族は前記の外五男五郞(明三二、九生)あり
住所・電話番号東京、麴町、紀尾井町三 電話長番町一七〇一
参照人物(親類)前田青莎
参照次数1 (※なし1)
読みまえだ まさな
別名
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