山崎覺太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 埼玉縣平民 | |
職業 | 川越電氣鐵道株式會社、武藏水電株式會社各專務取締役、川越商業會議所常議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政元年九月七日 (1854) | |
親名・続柄 | 松本太左衞門の三男 | |
家族 | 妻 シウ 明元、一一生、神奈川、士、桑原武房長女 男 衝助 明三三、二生、東京高等商業學校卒業 婦 とめ 明二〇、一二生、長男衝助妻、埼玉縣人渡邊與吉妹 男 房治 明一六、一一生、合資會社山崎商店業務擔當社員 婦 田鶴 明二一、二生、二男房治妻、栃木、平、龜田朋次郞長女 | |
記述部分(略伝) | 君は埼玉縣平民松本太左衞門の三男にして安政元年九月七日を以て生れ山崎嘉七の養子となり明治十二年九月分家して一家を創立す現時前記各會社の重役にして川越商業會議所常議員たり 家族は尚孫喜一(明四一、五生、長男衝助長男)同文治(同四三、三生、同二男)あり | |
住所・電話番号 | 埼玉、入間、川越町一〇一七 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | やまざき かくたろう | |
別名 |