山崎治敏 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊備中成羽藩主 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政五年二月十四日 (1858) | |
親名・続柄 | 山崎治敏の三男 | |
家族 | 庶子男 治男 明二四、三生、生母、東京、平、柳下くら 庶子女 純子 明二〇、八生、生母、東京、平、柳下くら 庶子女 亮子 明二七、五生、生母、東京、平、柳下くら 弟 治輯 文久元、七生 姪 章子 明一九、五生、兄治祇庶子女 | |
記述部分(略伝) | 當家は宇多天皇の皇子式部卿敦實親王の子左大臣源雅信の裔兵庫助經方の男行定の後なり其子憲山崎六郞と稱す夫より二十代を經て先代治祇に至る君其後を承く 實は先々代治敏の三男にして安政五年二月十四日を以て生れ明治四年正月先代治祇の養子となり同年四月家督を相續す同月成羽藩知事に任し同十七年男爵を授けらる 家族は前記の外庶子女杣子(明三五、三生、生母、岡山、平、中村タミ)同受子(同三七、一生、生母同上)同錠子(同三九、三生、生母同上)同侃子(同四一、七生、生母同上)同晟子(同四四、六生、生母同上)あり 同粹子(同二二、一生、生母、東京、平、柳下くら)は岡山縣平民佐藤權次郞に姉とく(嘉永二、四生)は男爵平野長祥先代長佑に姪邦子(同二三、八生、兄治祇庶子女)は岡山縣平民和田義憲長男義武に嫁せり | |
住所・電話番号 | 岡山、川上、成羽町 | |
参照人物(親類) | 男爵平野長祥 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | やまざき はるとし | |
別名 |