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山口弘達 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正三位、勳四等
爵位・身分・家柄子爵、舊牛久藩主
職業貴族院議員
性別男性
生年月日萬延元年三月二十三日 (1860)
親名・続柄 山口弘敝の長男
家族妻 谷子 慶應二、二生、子爵土井利美大叔母
男 重虎 明二三、八生
男 重秋 明二四、九生
記述部分(略伝)當家は多々良朝臣正恒の裔盛幸の後盛幸累代居住の地名を姓となし山口と稱す其孫重政德川氏に仕へ大阪の役に勳功あり常陸國牛久城主として一萬五千石を領すそれより十代を經て君に至る
君は先代從五位下筑前守弘敝の長男にして萬延元年三月二十三日を以て生れ幼名を長治郞といふ文久二年封を襲き明治二年三月表を上つて藩籍を奉還し同年六月牛久藩知事に任し同十七年子爵を授けらる曾て學習院教授を囑托せられ同二十三年貴族院議員となり現に其任に在り日露事件の功に依り勳四等に叙し旭日小綬章を賜はる
家族は前記の外七男重武(明三一、八生)孫弘行(同四一、一生、亡長男弘德長男)あり
三男重士(明一九、七生)は子爵米倉昌藏の婿養子となりて昌達と改名し四男重鑑(同二三、八生)は香川縣士族琴陵光煕の婿養子となれり
住所・電話番号東京、豐多摩、澁谷町下澁谷字豐分八〇 電話芝二一二三
参照人物(親類)子爵米倉昌藏、子爵土井利美
参照次数6 (※なし3)
読みやまぐち こうたつ
別名長治郞
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