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山田弘倫 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從五位、勳四等、功四級
爵位・身分・家柄岡山縣士族
職業醫學博士、陸軍一等軍醫正、陸軍省醫務局衞生課長、臨時脚氣病調査會幹事
性別男性
生年月日明治二年三月十一日 (1869)
親名・続柄 寺田眞一の二男
家族妻 ノフヱ 明一二、一一生、東京、士、御牧基賢養子
養子 金五 明四〇、一生、群馬、士、山田記慣五男
記述部分(略伝)君は岡山縣士族寺田眞一の二男にして明治二年三月十一日を以て生れ後先代山田弘謨に養はれ同二十八年十二月家督を相續し同二十九年一月舊名綸二郞を改む夙に第一高等學校を出て〻陸軍依託學生となり帝國大學醫科大學に入り同三十年卒業して醫學士の稱號を得同三十一年五月陸軍二等軍醫に任せらる爾來累進して大正二年一等軍醫正に昇任し陸軍省醫務局衞生課長に補し臨時脚氣病調査會幹事仰付らる其間陸軍々醫學校教官豐橋衞戌病院長等に歷補し同四十二年墺國開催萬國醫學大會に陸軍省より委員として差遣せられ同四十四年醫學博士の學位を受く曩に日露戰役に際し功により功四級金鵄勳章を賜はり勳四等に昇叙さる
住所・電話番号東京、豐多摩、中野町中野四〇九二
参照人物(親類)御牧基賢
参照次数1 (※なし1)
読みやまだ こうりん
別名綸二郞
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