山田英太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 愛知縣士族 | |
職業 | 岩倉鐵道學校理事、早稻田大學評議員、日清生命保險株式會社、成田鐵道株式會社各取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久二年十一月二十七日 (1863) | |
親名・続柄 | 山田中辰の長男 | |
家族 | 父 中辰 天保一二、七生 妻 れう 明三、四生、愛知、士、大橋鉞之丞妹 男 俊夫 明二七、二生 | |
記述部分(略伝) | 君は愛知縣士族山田中辰の長男にして文久二年十一月二十七日を以て生る同三十七年三月舊名鑅太郞を改め同四十三年十二月家督を相續す同十二年愛知師範學校を卒業し後東京に遊ひ東京專門學校に入り政治經濟學を修め同十八年卒業朝野民報報知の三新聞に筆を執り後愛知縣會議員眞宗大谷派學校教頭となり同二十五年の比より工學を研鑽し東京電車成田鐵道近畿鐵道等の企業に與り同三十一年日本鐵道會社の改革に參し幹事庶務課長に就任し後常務取締役に推されて大に同社經營の衝に當りしか鐵道國有の後同社專務清算人に就任現時岩倉鐵道學校理事早稻田大學評議員日清生命保險株式會社取締役成田鐵道株式會社取締役たり 家族は前記の外三男武夫(明三三、二生)四男達夫(同三四、一二生)三女壽子(同三七、五生)四女茂子(同三八、九生)六男宜夫(同四〇、一生)五女益子(同四四、八生)あり 弟眞哉(同三、五生)は其妻きやう(同一一、二生)及其子と共に各分家し二女恭(同二四、六生)は北海道平民下村忠助に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、芝、白金臺町二ノ五四 電話芝三四八七 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | やまだ えいたろう | |
別名 | 鑅太郞 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]