山田文太郞 (4th Edition [January 1915] )
Rank/ Honors/ Grade | 從六位 | |
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Title/ Family rank etc. | 東京府平民 | |
Occupation | 工學博士,三井鑛山株式會社神岡鑛山事務長 | |
Gender | 男性 | |
Birthday | 文久元年九月二十一日 (1861) | |
Parent and relation | 田口十内の三男 | |
Family | 養父 愼 嘉永五、四生、現戸主 養母 みよ 文久三、一二生、福井、平、山口與作養女 妻 ふさ 明五、二生、故東京控訴院長長谷川喬養女 男 孫一郞 明二二、六生、第六高等學校在學 男 勇 明二八、一〇生 女 さだ 明二六、五生、御茶水高等女學校出身 養弟 基 明二〇、一一生、東京帝國大學醫科大學生 養弟 正文 明二四、六生、長崎高等商業學校在學 養妹 きよ 明二五、九生、お茶水高等女學校出身 養妹 とき 明二六、一〇生、お茶水高等女學校在學 養妹 婦美 明二九、一〇生、お茶水高等女學校在學 養妹 久子 明三一、三生、お茶水高等女學校在學 | |
Biography | 君は福井縣士族田口十内の三男にして文久元年九月二十一日を以て生れ明治八年九月現戸主愼の養子となる同十九年工科大學採鑛冶金科を卒業して工學士の稱號を得小眞木鑛山に入る同二十二年獨逸鑛山學校に入り同二十四年業を卒へ歸朝御料局技師に任せられ同二十九年官を罷めて生野銀山に勤務し幾くもなく三井鑛山會社に轉し今日に至る先是同三十四年工學博士の學位を受く 家族は前記の外三男文雄(明三〇、五生)四男豐(同三三、五生)あり 養姉サト子(同二、九生)は兵庫縣平民巽市郞に養妹くに(同一五、二生)は新潟縣平民蠟山長治郞に同まき子(同一四、九生)は東京府平民吉村源太郞に同せつ子(同一八、一二生)は同府平民杉晴之助二男法學士程次郞に嫁し弟朔郞(同九、三生)同穆(同一一、七生)同彰(同一四、一生)弟五郞(同一七、八生、法學士、橫濱正金銀行大連支店勤務)は分家して各一家を成せり | |
Address phone | 東京、小石川、白山御殿町一一〇 電話番町一六三八 | |
Relative | 山田朔郞,山田穆,巽市郞,蠟山長治郞,吉村源太郞 | |
Degree | 5 (except※5) | |
Pronounciation | やまだ ぶんたろう | |
Another name |