山川義太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 埼玉縣平民 | |
職業 | 工學博士、東京帝國大學工科大學教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 萬延元年三月十四日 (1860) | |
親名・続柄 | 山川達藏の長男 | |
家族 | 母 しの 天保一〇、五生、埼玉、平、岩田半七長女 妻 那美 明四、三生、東京、平、村形永太郞妹 弟 弘毅 明八、六生 弟妻 はま 明二〇、四生、弟弘毅妻、長野、士、岩波誠一郞妹 | |
記述部分(略伝) | 君は埼玉縣平民山川達藏の長男にして萬延元年三月十四日を以て生れ明治二十三年三月家督を相續す明治九年大學寮に入りて電信學を研究し同十五年卒業して工學士の稱號を得仕官して工部七等技師を拜命し金澤及大阪に在勤す後電信修技學校幹事に兼任し尋て同校教諭を兼ぬ後工科大學東京工業學校等に教鞕を執り同二十七年に至り電氣力及光力本位取調委員を命せらる同二十九年電氣工學研究の爲英獨米國に留學を命せられ同三十二年歸朝東京帝國大學工科大學教授に任し工學博士の學位を受け現に同大學電氣工學第二講座を擔任す 家族は前記の外養弟義信(明三二、六生、東京府人關本喜三郞孫)あり 弟新次郞(慶應三、八生)は分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、駕籠町四六 電話番町三〇三〇 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | やまかわ ぎたろう | |
別名 |
人事興信録
- 初版 [明治36(1903)年4月]
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]