勸修寺經雄 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊公卿 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十五年四月十三日 (1882) | |
親名・続柄 | 勸修寺顯允の長男 | |
家族 | 母 玉子 安政四、六生、愛知、士、小笠原長廣妹 弟 久雄 明二三、三生 弟 彰雄 明二五、一二生 | |
記述部分(略伝) | 當家は内大臣藤原鎌足七代贈正一位太政大臣藤原良門の子贈太政大臣正三位高藤の後にして高藤の時より始めて勸修寺と稱すそれより十四世權中納言勸修寺經俊より二十五代を經て顯允に至る顯允維新後身を軍籍に置き西南の役新選旅團附となりて軍功あり明治十七年伯爵を授けらる明治二十七八年戰役に亦軍功あり勳五等に叙し雙光旭日章を賜ふ後貴族院議員に當選し正三位に叙せられ同三十三年九月薨す 君は其長子にして明治十五年四月十三日を以て生れ同三十三年家督を相續し襲爵仰付けらる 家族は前記の外弟末雄(明三三、一生)あり 叔母經子(弘化四、四生)は伯爵葉室長通先代長邦に嫁せり | |
住所・電話番号 | 京都、上京、衣之棚椹木町下ル今藥屋町三一五 | |
参照人物(親類) | 伯爵葉室長通 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | かじゅうじ つねお | |
別名 |