野宮定穀 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊公卿 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永六年七月十七日 (1853) | |
親名・続柄 | 竹屋光有の二男 | |
家族 | 妻 よね子 安政四、一二生、侯爵嵯峨公勝叔母 男 定茂 明二四、二生、從五位 女 豐子 明一八、一〇生 男 護 明二五、一〇生 男 進 明二八、二生 | |
記述部分(略伝) | 常家は藤原鎌足十三世關白師實の支流左大臣定熙の子忠長の後なり其子定逸元和八年後水尾天皇の叡旨により別に一家を創立し姓を野宮と賜ふ八世を經て定功に至る君其後を承く 君實は故正二位竹屋光有の二男にして子爵竹屋威光の養大叔父なり嘉永六年七月十七日を以て生る慶應二年十一月先代定功の養子と爲り同十三年十二月家督を相續す十七年七月子爵を授けられ現に貴族院議員たり 養姉祥子(天保一〇、一二生)は伯爵山科言綏先代言繩に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、下谷、入谷町一一六 | |
参照人物(親類) | 侯爵嵯峨公勝、伯爵山科言綏、子爵竹屋春光 | |
参照次数 | 4 (※なし3) | |
読み | のみや ていこく | |
別名 |