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野村素介 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從二位、勳一等
爵位・身分・家柄男爵、錦鷄間祗候、山口縣華族
職業貴族院議員
性別男性
生年月日天保十三年五月十八日 (1842)
親名・続柄 有地行任の二男
家族妻 スミ 嘉永二、一生、山口、士、亡伊藤市右衛門二女
男 素一 明一二、八生、正五位勳五等功五級陸軍步兵大尉
婦 錫 明二六、九生、長男素一妻、東京、士、山田銈太郞二女
記述部分(略伝)君は舊山口藩士有地行任の二男にして天保十三年五月十八日を以て周防國吉敷郡長野村に生れ文久三年十月同藩士野村正名の養子となり慶應二年二月家督を相續す幼名を範輔と稱せしか後藩命を以て素介と改め素軒と號す安政六年四月江戸に遊學し櫻田邸の有備館に入り鹽谷宕陰に就て學ひ後藩黌明倫館の舍長に擧けらる夙に國事に盡して功あり明治元年同藩參政兼公議人軍政主事に任せられ同二年權大參事に任し同四年命を受けて歐米各國を視察し翌年三月歸朝す爾來茨城縣參事文部大丞學務局長大督學文部大書記官學務課長兼會計課長元老院大書記官同議官等に歷任し後博物局長兼務亞細亞大博覽會組織取調委員内國勸業博覽會委員同評議院等を命せらる同二十三年貴族院議員に勅選せられ尋て錦鷄間祗候仰付らる同年博覽會事務官として精勵の廉を以て藍綬褒章を賜はり同三十三年勳功により華族に列し男爵を授けらる
家族は尚孫素夫(明四五、一生、長男素一長男)あり
二女クリ(同九、六生)は男爵勝田四方藏長男太郞に嫁せり
住所・電話番号東京、麻布、富士見町一一
参照人物(親類)男爵勝田四方藏
参照次数1 (※なし1)
読みのむら もとすけ
別名範輔
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