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馬屋原彰 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正四位、勳三等
爵位・身分・家柄錦鷄間祗候、東京府士族
職業貴族院議員
性別男性
生年月日弘化元年二月十三日 (1844)
親名・続柄 馬屋原良藏の二男
家族妻 久子 嘉永五、三生、山口、士、粟屋清彦長女
養子 實 明二五、九生、東京、士、三浦泰輔二男
記述部分(略伝)君は山口藩士馬屋原良藏の二男にして馬屋原二郞は其實弟なり弘化元年二月十三日を以て生れ明治四年十一月家督を相續す舊名を閑輔と稱す其先桓武天皇の皇子式部卿葛原親王の孫上總介高望の裔右馬介忠政の子正友より出つ正友源賴朝に仕へて吉備に封地を賜はる馬屋原は其地名なり因て氏とす後數世を經て元詮に至る元詮毛利輝元に仕へて長州萩に移り世々山口藩士として祿二百石を食む君は其九世の孫なり資性剛直にして信義あり慶應年間幕府討長の師を起して國境に迫るや蹶起石州口に舊戰して功あり曾て藩黨原書課の都講となる後東都に遊ひ政治經濟の學を修め明治四年職を民部省に奉し庶務大佑に任せられ爾後民部省大主記左院五等議官權少書記官少書記官太政官書記官權大書記官參事議官補法制局司法部長行政裁判所評定官等に歷任し明治二十六年三月職を辭す先是同二十四年貴族院議員に勅選せられ同三十年十二月錦鷄間祗候仰付けらる同二十六年勳三等に叙し同三十九年日露戰役の功により旭日中綬章を授けらる方今正四位に陞れり
長女東喜子(明元、一二生)は東京府士族三浦泰輔に嫁せり
住所・電話番号東京、牛込、市ケ谷鷹匠町六 電話番町二四七〇
参照人物(親類)三浦泰輔馬屋原二郞
参照次数2 (※なし2)
読みまやはら あきら
別名閑輔
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