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植村家壺 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正三位
爵位・身分・家柄子爵、舊和州高取藩主
職業
性別男性
生年月日弘化四年十月十五日 (1847)
親名・続柄 本多忠隣の六男
家族男 家治 明二〇、三生
記述部分(略伝)當家は源經基三代賴光の支裔光時の末葉植村持益の後なり夫れより二世氏明に至り德川氏に仕へて勳功あり和州高取藩主として二萬五千石を領し更に十世を經て家保に至る君其後を承く
君實は本多忠隣の六男にして弘化四年十月十五日を以て生れ幼名を劍八郞と云ふ慶應三年家保の養子となり其跡を繼く明治元年羽前守に同二年高取藩知事に任し同十七年七月子爵を授けられ同二十五年九月御陵墓守長を仰付らる同三十年七月正四位に後正三位に進めらる
養弟臨太郞(慶應元、七生)同觀次郞(明二、一〇生)同賁三郞(同六、九生)養妹幸子(同八、八生)養父妾鶴尾(弘化二、二生、亡養父家保妾)は共に分家し二女宣子(明一三、二生)は子爵本多渉先代貞吉に嫁せり
住所・電話番号奈良、高市、高取町
参照人物(親類)子爵本多渉
参照次数1 (※なし1)
読みうえむら いえひろ
別名劍八郞
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