向山小平次 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 埼玉縣平民 | |
職業 | 埼玉縣多額納税者、株式會社所澤銀行專務取締役、株式會社飯能銀行取締役頭取、川越鐵道株式會社取締役、日本セメント株式會社監査役、株式會社上野原銀行相談役、商業 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永三年五月四日 (1850) | |
親名・続柄 | 向山照成の長男 | |
家族 | 妻 てる 安政三、八生、東京、平、亡相澤喜兵衛二女 男 内藏造 明九、一生 婦 マス 明二四、一〇生、長男内藏造妻、東京、平、石森清兵衛妹 男 茂次 明一三、一一生 婦 きぬ 明二八、二生、三男茂次妻、東京、平、瀧上悦藏三女 男 六藏 明一九、八生 養子 勝四郞 文久三、八生、長女すゞ聟養子、東京、平、亡眞野新三郞三男 女 すゞ 明五、一〇生、養子勝四郞妻 孫 滿壽子 明二八、二生、養子勝四郞長女 孫 喜久子 明二九、六生、養子勝四郞二女 | |
記述部分(略伝) | 君は埼玉縣平民亡向山照成の長男にして中島伊平の兄なり嘉永三年五月四日を以て生れ後家督を相續す世々織物仲繼業を營み方今前記銀行會社の重役に學けられ埼玉地方屈指の實業家にして又縣下第一位の多額納税者たり直接國税四千百餘圓を納む 家族は尚ほ孫とめ(明三四、一生、養子勝四郞四女)同壽子(同三五、一生、同五女)同銈一(同三七、一一生、同長男)同俊彦(同四〇、九生、同二男)同▲千雄(同四二、一二生、同三男)同君江(同三八、一生、長男内藏造長女▲同鎭子(同四一、二生、同二女)同操(同四四、六生、同三女)同定孝(大元、一〇生、同長男)あり 二女よし(明一一、一二生)は埼玉縣平民增田一郞に姉とき(天保一四、三生)は東京府平民小澤芳重に嫁し弟忠次郞(安政四、五生)は其妻やす(元治元、二生、埼玉、平、中島長兵衛四女)及其子を伴ひ分家し同米次郞(慶應元、九生)は群馬縣平民先代中島伊平の養子となれり | |
住所・電話番号 | 埼玉、入間、所澤町 | |
参照人物(親類) | 石森清兵衛、小澤芳重、中島伊平 | |
参照次数 | 4 (※なし4) | |
読み | むこうやま こへいじ | |
別名 |