中山武三郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 勳八等 | |
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爵位・身分・家柄 | 長野縣平民 | |
職業 | 佐久鐵道株式會社取締役、株式會社榮▲行、株式會社海瀨銀行、株式會社十九銀行各監査役、農業、千代里牧場主 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二年十二月五日 (1870) | |
親名・続柄 | ||
家族 | 妻 はつ 明一〇、一〇生、長野、平、中山善助長女 男 英一 明二八、一生、慶應義塾在學中 女 ふみ 明二九、二生、共立女子職業學校卒業 女 くに 明三〇、一二生、跡見女學校在學中 女 きぬ 明三三、四生、跡見女學校在學中 | |
記述部分(略伝) | 君は長野縣平民茂木吉次の弟にして明治二年十二月五日を以て生れ同二十七年六月先代亡濱治郞の養子となり同年十二月家督を相續す幼にして出藍の譽あり同二十五年七月中央人學法律科を卒業す爾來鄕蘆に在りて出てす村會議員郡會議員郡參事會員教育會議員等に推され同三十七年村長に選はれ日露戰役に際し内外因厄の村治を整理し國債▲應募に國民の後援に各其實を擧け戰後功に依り勳八等に叙せらる先是千代里牧場を經營し又馬越殖産會を組織し落葉松數十萬を殖林し大ひに殖産牧蓄を奬勵す同三十▲年▲今上陛下の御慶事に際し自家牧場産出の牡馬無海號を獻納し御嘉賞の榮を荷へり現時日本赤十字社終身社員となり特別社員に列し長野支部評議員に推され又郡會議員其他各種の名譽職に擧けられ鄕黨の輿望益々厚し尚前揭諸會社の重役として知らる 家族は尚二男淳太(明三五、九生)あり 三男隆輔(同三七、六生)は長野縣平民中山兩輔の養子となれり | |
住所・電話番号 | 長野、南佐久、北牧村 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | なかやま たけさぶろう | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]