岩下家一 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、鹿兒島縣華族 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十二年十月十八日 (1879) | |
親名・続柄 | 岩下長十郞の子 | |
家族 | 母 類 安政五、七生、鹿兒島、士、東鄕四郞兵衞長女 妻 きぬ 明一八、一生、北海道、平、犬塚駒吉三女 叔母 早 嘉永四、一生、亡祖父岩下方平長女 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の末流にして世々鹿兒島の藩士たり先代方平より家名を揚ぐ方平夙に尊王の大義を唱へ大に國事に盡す慶應三年歐州に航し歸朝後參與に任し明治元年五月以降大阪府判事京都府權知事元老院議官に歷任錦鷄間祗候被仰付明治二十年五月特旨を以て華族に列し子爵を授けられ同三十三年八月從二位勳一等に叙せらる 君は其孫にして父を長十郞と云ふ明治十二年十月十八日を以て生れ同三十三年八月家督を相續し襲爵仰付らる 家族は尚長女潤子(大二、九生)あり 姉豐(明九、四生)は鹿兒島縣人田中盛秀に嫁せり | |
住所・電話番号 | 神奈川、三浦、田越村逗子 | |
参照人物(親類) | 田中盛秀 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | いわした かいち | |
別名 |