角田眞平 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 辯護士、東京市會議員、日本燐礦株式會社長、株式會社秀英舍取締役、株式會社東京株式取引所理事、跡見女學校理事 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政四年六月十五日 (1857) | |
親名・続柄 | 角田彦右衞門の二男 | |
家族 | 妻 ゑい 安政五、一〇生、靜岡、平、池田忠兵衞妹 男 不二男 明二〇、七生 男 龍雄 明二五、九生 女 凉 明三一、三生 | |
記述部分(略伝) | 君は靜岡縣人角田彦右衞門の二男にして安政四年六月十五日を以て生る明治七年上京して沼間守一に倚れり嚶鳴社成るに及び之に加盟し後法律を研究し同十三年代言人試驗に及第し狀師となれり同十五年改進黨の起るや君之れに賛し其評議員に推されて大に黨勢の擴張に努めり同十七年東京府會議員となり同二十一年東京組合代言會長に推さる同二十五年衆議院議員に當選し同二十九年其職を辭し同三十二年再ひ東京府會議員に選はれ市部會議長に擧けらる同三十五年再ひ選出されて衆議院議員となり同四十年日露事件の功に依り勳四等に叙せらる曩に東京市に臨時市區改正局の設置せらる〻や選はれて其局長の任に當る現時東京市會議員として又前揭諸會社の重役たり 家族は前記の外四男竹夫(明三三、四生)七女月江(同三六、九生)あり 四女いよ(同一八、九生)は大分縣平民藤田武一弟語郞に嫁し五女萬代(同二七、三生)は神奈川縣平民石井健吾弟孝に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、東五軒町一三 電話番町二七六 | |
参照人物(親類) | 石井健吾 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | つのだ しんぺい | |
別名 |