鶴田禎治郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳三等、功四級 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 陸軍々醫監第一師團軍醫部長、日本赤十字社病院副院長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應元年九月二十八日 (1865) | |
親名・続柄 | 鶴田有本の長男 | |
家族 | 母 マキ 天保九、七生、佐賀、士、大塚良民六女 妻 ヤエ 明六、七生、北海道、士、櫻井保彦妹 女 磯 明三〇、八生 | |
記述部分(略伝) | 君は佐賀縣士族鶴田有本の長男にして慶應元年九月二十八日を以て生る明治二十三年東京帝國大學醫科大學を卒業し陸軍二等軍醫に任せられ大學院に入り外科學を修む同三十六年外科學研究の爲め獨逸國留學を命せられ歸朝後陸軍々醫學校教官に任し永樂病院外科醫長を囑託せらる日清戰役には第二師團第二野戰病院附として出征し功に因り勳六等に叙せらる日露の役には第一師團軍醫部長として旅順奉天の戰線に加はり勳三等功四級に叙せらる後近衞師團軍醫部長東京第一衛戌病院長に歷補し同四十二年十月軍醫監に昇任し大正三年八月第一師團軍醫部長に補せられ現に其任にあり又日本赤十字社病院副院長を兼ぬ 家族は前記の外三女梅(明四〇、三生)あり 長女靜(同二六、八生)は東京府士族篠塚義男に嫁す | |
住所・電話番号 | 東京、豐多摩、千駄ケ谷町字新町裏八九〇 電話番町一五三〇 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | つるた ていじろう | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]