坪谷善四郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 博文館、大橋圖書館各理事、東京市會議員、東京市學務委員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久二年二月二十六日 (1862) | |
親名・続柄 | 坪谷甚三の三男 | |
家族 | 妻 ミネ 慶應三、八生、新潟、平、山崎喆三郞長女 養子 忠三 明一六、三生、新潟、平、坪谷甚三郞三男 婦 いゆ 明二三、六生、養子忠三妻、東京、平、中村孝吉妹 | |
記述部分(略伝) | 君は新潟縣平民坪谷甚三の三男にして文久二年二月二十六日を以て生れ明治九年二月分れて一家を創立す同二十一年東京專門學校を卒業して博文館に入り編輯に從事し同館の發展に盡瘁すること數十年其今日ある氏の力に俟つもの多しと云ふ雅號を水哉と稱し公私職務の傍著作を業とし暇あれは内外各國を巡遊す著書に世界漫遊案内日本漫遊案内山水行脚海外行脚明治歷史等其他十數種あり方今博文館大橋圖書館の各理事たり同三十四年以來市會議員に當選し現に其職に在り 家族は前記の外孫正二(大二、二生、養子忠三二男)あり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、北山伏町二九 電話番町一五五九 | |
参照人物(親類) | 中村孝吉 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | つぼや ぜんしろう | |
別名 |