團琢磨 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 工學博士、三井合名會社參事、北海道炭礦汽船株式會社取締役會長、株式會社芝浦製作所、株式會社三井銀行、三井物産株式會社、三井鑛山株式會社、堺セルロイド株式會社各取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政五年八月一日 (1858) | |
親名・続柄 | 諏訪宅之丞の三男 | |
家族 | 妻 ヨシ 元治元、六生、福岡、士、亡金子清藏長女 男 伊能 明二五、二生 女 ユキ 明二一、四生 女 スミ 明二七、六生 女 春枝 明三〇、九生 | |
記述部分(略伝) | 君は福岡縣士族諏訪宅之丞の三男にして安政五年八月一日を以て生れ明治十三年同縣士族團尚靜の養子となり後分家して一家を創立す同四年舊藩主黑田長知の米國に遊學するや子爵金子堅太郞と共に選はれて其隨員となりボストン府小中學校を經て工科大學に鑛山學を修め同十一年歸朝して各地の鑛山を視察す後ち大阪專門學校教諭に任し同十四年工部省に轉し工部大學に出仕し鑛山局准奏任御用掛を拜命して三池鑛山に在勤す居る事五年再ひ歐米各國を巡遊して鑛山の實况を視察す後ち三池鑛山の三井組の有となるに當り聘せられて鋭意同鑛山の改良及擴張に盡瘁し遂に同事業を大成して三井鑛山株式會社の今日あるに至らしむ我國幾多の礦物學者中君の指導を以て三池炭礦に練習したるもの多く時の文部大臣其學績を推薦して曩に工學博士の學位を授く方今三井合名會社參事其他前揭諸會社の重役に擧けられ斯界に其名を知らる 家族は前記の外二男勝麿(明三七、一〇生)あり 長女メイ(同一七、一二生)は大阪府士族牧田宗太郞弟環に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、豐多摩、千駄ケ谷町原宿三四四 電話芝二九〇一 | |
参照人物(親類) | 牧田環 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | だん たくま | |
別名 |