玉松公秋 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、京都府華族 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二十三年九月九日 (1890) | |
親名・続柄 | 玉松眞幸の四男 | |
家族 | 母 紀子 安政六、七生、子爵高丘和季伯母 弟 公叙 明二六、七生 | |
記述部分(略伝) | 當家は大織冠藤原鎌足より出づ十一代太政大臣公季六代の孫權中納言通季の裔從二位參議山本實福の二男從五位眞弘の創立する所なり眞弘幼にして醍醐寺に入り得度して猶海と稱し大僧都法印に任せらる猶海王室の式微僧律の廢〓を慨き東西に奔馳して盡瘁大いに努む後髮を蓄へて山本毅軒と稱す明治二年特旨を以て堂上に加へられ別に一家を立て家號を玉松と稱す其甥眞幸に至り明治十七年七月男爵を授けらる後ち貴族院議員に當選し國事に盡す所尠からす 君は其四男にして明治二十三年九月九日を以て生れ同四十年五月家督を相續し襲爵仰付けらる 家族は前記の外弟公三(明三一、二生)あり | |
住所・電話番号 | 京都、上京、中立賣通新町東入三ノ四 | |
参照人物(親類) | 子爵高丘和季 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | たままつ きみあき | |
別名 |