高嶺朝教 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 沖繩縣士族 | |
職業 | 株式會社沖繩銀行頭取 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治元年十二月十五日 (1869) | |
親名・続柄 | 高嶺朝長の長男 | |
家族 | 父 朝長 天保一一、八生、現戸主 母 マカト 天保一四、九生、沖繩、士、安室朝蕃長女 妻 カメ 明四、七生、沖繩、士、讀谷山朝忠二女 男 朝光 明二八、三生 弟 朝鎭 明一七、一〇生 弟妻 ウシ 明一八、一二生、弟朝鎭妻、沖繩、士、讀谷山朝慶妹 弟 朝保 明二一、一〇生 女 オト 明二六、九生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊琉球藩按司高嶺朝長の長男にして明治元年十二月十五日を以て生る明治十五年十二月沖繩縣縣費留學生として東都に派遣せられ學習院及慶應義塾に學ふ同二十五年七月歸鄕琉球新報を發行し紙上に穩健の筆を揮ひ地方の啓發指導に力む之を同縣下に於ける新聞事業の嚆矢とす同三十二年四月株式會社沖繩銀行を創立し其頭取に擧げられ現に同行を主宰しつ〻あり先是同三十一年九月沖繩縣農工銀行設立委員を命せられ之れか創立に盡力し其成るに及ひ選はれて監査役となる又公職としては同二十九年二月首里區學務委員に擧けちれて今日に至り同四十二年四月沖繩縣に始めて縣制施行せらる〻や首里區より縣會議員に選はれ議長として令名あり同四十五年衆議院議員に選出せられしも大正三年八月故ありて之を辭せり 家族は前記の外二男朝秀(明三〇、二生)三男朝彦(同三二、五生)姪ウト(大元、一二生、弟朝鎭二女)あり 姉コセ(文久二、一〇生)は沖繩縣士族伊江朝信に嫁し弟朝惟(明五、六生)は其妻マツ(同五、四生、沖繩、士、小祿朝亮姪)及子女を伴ひ同朝業(同九、二生)は其妻オト(同一八、二生、沖繩、士、仲座盛常妹)及子女を伴ひ分家し同朝英(同二二、九生)も亦分家せり | |
住所・電話番号 | 沖繩、首里、山川 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | たかみね ちょうきょう | |
別名 |