高柳保太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位、勳四等、功四級 | |
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爵位・身分・家柄 | 石川縣士族 | |
職業 | 陸軍步兵大佐、陸軍參謀本部課長兼陸軍大學校兵學教官兼海軍々令部參謀 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二年十二月九日 (1870) | |
親名・続柄 | 三浦賢高の二男 ** | |
家族 | 妻 幾代 明一四、三生、石川、士、高松貞次二女 男 保 明三九、一一生 女 雅子 明三〇、二生 女 文子 明三三、一〇生 | |
記述部分(略伝) | 君は石川縣士族三浦一雄の弟にして明治二年十二月九日を以て生れ同二十年十二月先代高柳文吉の死跡を相續す同二十六年三月步兵少尉に任せられ後ち陸軍大學を卒業し爾來累進して同四十五年四月步兵大佐に陞任し陸軍參謀本部課長兼陸軍大學校兵學教官兼海軍々令部參謀に補せらる其間日露の役には第二軍參謀として出征し後ち滿洲軍參謀として大本營幕僚附を命せられ帷幕に參して功あり功四級に叙せらる曩に韓佛露清の諸國に差遣さる 家族は前記の外三女俊子(明三五、三生)四女英子(同四三、八生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、青山高樹町一二 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | たかやなぎ やすたろう | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]