俵孫一 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 島根縣平民 | |
職業 | 宮城縣知事 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二年五月七日 (1869) | |
親名・続柄 | 俵祐信の四男 | |
家族 | 妻 マツ 明一五、七生、大分、士、三村君平長女 男 精一 明三四、五生 | |
記述部分(略伝) | 君は島根縣平民俵祐信の四男にして俵國一は君の弟なり明治二年五月七日を以て生れ同二十九年二月分家して一家を創立す同二十八年帝國大學法科大學を卒業して法學士の稱號を得後ち職を官界に奉し統監府參與官に任せらる爾來朝鮮總督府臨時土地調査局副總裁三重縣知事等に歷任し大正三年四月宮城縣知事に任せられ現に其職に在り 家族は前記の外長女淑子(明三五、一一生)三男祐(同三九、五生)四男隆治(同四一、七生)五男宏(同四三、九生)六男正道(大元、七生)あり | |
住所・電話番号 | 仙臺、長刀町官舍 | |
参照人物(親類) | 俵國一、三村君平、※今村英祐 | |
参照次数 | 3 (※なし2) | |
読み | たわら まごいち | |
別名 |