田中芳男 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 錦鷄間祗候、舊笠松藩士 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保九年八月九日 (1838) | |
親名・続柄 | 田中如水の二男 | |
家族 | 妻 ゑい 嘉永元、四生、長野、士、三澤元衡妹 男 吾一 明二二、七生 女 なつ 明四、六生 女 美穗 明二八、九生 孫 健太郞 明二二、七生、亡養子節三郞長男 孫 美津男 明二六、一〇生、亡養子節三郞三男 孫 豐男 明二八、一〇生、亡養子節三郞四男 | |
記述部分(略伝) | 君は舊笠松藩士田中如水の二男にして天保九年八月九日を以て生る幼より理學博士伊藤圭介に就き博物學を修め草木金石を研究し各種植物を實驗す明治元年開成所御用掛となり爾後文部少教授編修權助等を經て内務省に出仕し内務權大丞同大書記官に累進し農商務大書記官元老院議官に歷任す又屢朝命を奉じて墺米佛に差遣され同國博覽會事務に干與す明治二十三年藍綬褒章を賜はる同年貴族院議員に勅選され又曾て錦鷄間祗候を命せられ今日に至る明治四十年日露事件の功に依り勳一等に叙せらる 家族は前記の外孫伊都男(明三二、一一生、亡養子節三郞五男)あり 同正男(同二四、一生、同二男)は東京府士族田中ことの死跡を繼ぎ三女ふゆ(同一五、一二生)は三重縣平民井村大吉に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、本鄕、金助町七二 | |
参照人物(親類) | 井村大吉 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | たなか よしお | |
別名 |