田中隆三 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 秋田縣士族 | |
職業 | 衆議院議員(秋田縣郡部選出)、大阪商船株式會社、電氣信託株式會社各取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 元治元年十月十五日 (1864) | |
親名・続柄 | 田中隆世の長男 | |
家族 | 妻 かま 明三、八生、束京、士、志賀啓二女 男 隆一郞 明二三、三生 男 隆二郞 明二八、一〇生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊羽後久保田藩士にして元治元年十月十五日を以て生れ明治二十九年九月家督を相續す父は隆世と云ひ其長男なり明治二十二年東京大學法學部を卒業して法學士の稱號を得翌年農商務省鑛山局次長となり後更に同特許局審判官兼參事官に任し同二十五年鑛山監督官となり翌年官を辭して辯護士の業に從ひ同二十八年衆議院書記官に任じ爾來法制局參事官長崎縣書記官農商務省鑛山局長行政裁判所評定官等に歷任して再ひ野に下り合名會社藤田組に入り秋田小坂鑛山を主管し後本店常務理事となりしも今は之を辭し前記會社の重役たり曩に選はれて衆議院議員となり日露事件に功あり勳三等に叙し同四十年十二月從四位に叙せらる 三男隆三郞(明三一、七生)は東京府士族志賀啓の養子となり妹ヨ子(同元、九生)は秋田縣士族小野崎五助に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麻麻、仲之町一二 電話芝三一五〇 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | たなか りゅうぞう | |
別名 |
人事興信録
- 初版 [明治36(1903)年4月]
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]