吉川孝秀 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 株式會社日本興業銀行庶務部助役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治元年十一月七日 (1868) | |
親名・続柄 | 吉川孝友の長男 | |
家族 | 妻 田鶴 明一三、一〇生、東京、士、堀彭教二女 男 力 明三六、一一生 | |
記述部分(略伝) | 君は先代亡吉川孝友の長男にして明治元年十一月七日を以て生れ三十年四月家督を相續す同二十七年東京帝國大學法科大學政治科を卒業して法學士の稱號を得後ち愛媛縣宇和島中學校長に任し尋て大藏省主計局に轉し官命を帶ひて清國を歷遊す同三十五年日本興業銀行設立に際し在官の儘創立事務に鞅掌し開業と共に官を辭して同行に入り現今庶務部助役たり同三十八年時の總裁添田博士に隨行して歐米各國の經濟事情を視察す 家族は尚長女英(明三九、一一生)三男誠(同四一、一二生)二女尚(同四二、一〇生)三女治(同四四、五生)あり 姉〓〓(慶應二、九生)は法學博士天野爲之に養女タツ(明二三、四生、神奈川、平、近藤金藏長女)は東京府平民加納春三長男秀雄に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、飯田町五ノ二三 電話番町一〇一一 | |
参照人物(親類) | 天野爲之 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | よしかわ たかひで | |
別名 |